【 はじめに 】
― コスモスの右手と左手 ―現代の知識人、または知的産業に従事する文化的エリート達は「二つの陣営」に分断されている。すなわち、『科学(コスモスの右手)』と『人文学(コスモスの左手)』に分かれている。この二つの陣営が、互いに口をきこうとしないのは確かに良くないことだが、しかし、この二つの陣営から全く拒絶されている分野が『スピリチュアルの探究』である。
誤解のないように説明すると、「スピリチュアル」とは数ある知性の一つであり、具体的には人間の「内省」や「意識」、「内面性」や「主観性」の研究である。この分野における知的に非常に洗練され、合理的で、非神話的で、実験的に発達したスピリチュアルの「思考システムと実践」が多数ある。
例えば、仏教の「現象学」、ヴェーダーンタの「哲学」、カバラの「解釈学」などであるが、これらは学問と教育の主流においては真剣には取り上げられることはない。
現代の科学主義は、客観的・実証的・経験的な「外面世界(表層)」の記述に没頭するあまり、自分たち自身の「内省」や「意識」、「内面性」や「主観性」を根本的に拒絶する。この科学的物質主義(唯物論)が、高等教育や学問の世界において強力に支配的であるため、『スピリチュアルの探究』はどこでもまじめに取り上げられることがない。実際には『人文学』ですら、スピリチュアルの研究には近づかない。
唯物論的な「科学(コスモスの右手)」、特にニュートン・デカルト的な科学が『スピリチュアルの探究』を殺した・・・。しかし、実はこれが本当の理由ではないし事実に近くもない・・・。
問題は、『人文学(コスモスの左手)』が内省や主観性を、それも完全に徹底的に拒絶した。「科学(コスモスの右手)」が殺したのではなく、『人文学(コスモスの左手)』が殺したのである ‼
20世紀後半、二つの陣営両方ともに、『科学(コスモスの右手)』ばかりでなく、『人文学(コスモスの左手)』ですら、内面性を完全に拒絶したのである・・・
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