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【必見 ‼】私自身の音楽的志向に最も強烈な影響をもたらした “ Sade Adu (シャーデー・アデュ) ” その『世界観と美学』

【必見 ‼】私自身の音楽的志向に最も強烈な影響をもたらした “ Sade Adu (シャーデー・アデュ) ” その『世界観と美学』


 
1984年2月25日、デビュー・シングルA面曲「Your Love Is King」、B面曲「Love Affair With Life」がリリース (UKでは1983年にリリース) されて以来、私自身の音楽的志向に最も強烈な影響をもたらしたアーティストが『Sade Adu (シャーデー・アデュ)』である ‼
 


・Your Love Is King [single] / 7″, 45 RPM, : Epic A4137, 25 February 1984 (UK)
 Side 1: Your Love Is King
 Side 2: Love Affair With Life [Recorded Live]


 
当時16歳の果敢な時期、私が第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンを背景にして音楽活動をする中、1984年7月28日にファースト・アルバム『Diamond Life』をリリース。翌年1985年11月4日にはセカンド・アルバム『Promise』がリリースされ、そのライナーノーツやミュージックマガジンを通じて「マーヴィン・ゲイ」「カーティス・メイフィールド」「ダニー・ハサウェイ」、そして「ギル・スコット・ヘロン」等、素晴らしい’70年代アーティストと音楽の存在を教えてくれたのも彼女であった・・・。
 
アデュの前に並ぶレコードは、左からギル・スコット・ヘロン『REFLECTIONS』(1981)、ビル・ウィザース『LIVE AT CARNEGIE HALL』(1973)、マーヴィン・ゲイ『WHAT’S GOING ON』(1971)。手に持っているのは、レイ・チャールズ『DEDICATED TO YOU』(1961)である。

 
因みに、’84年2月イギリス発売の『SADE (シャーデー) 』デビュー・シングル「Your Love Is King」のB面曲「Love Affair With Life」はアルバム収録されず、いまだCD化されていないレア・トラックのひとつであり、’84年ツアーの際にはアンコールで演奏され、この曲でステージを締めくくっていた。

ピアノとサックスをバックに歌唱するジャジーなスロー・バラードは、プレイボーイに翻弄される女の心情が切々と歌い上げられるシャーデー初期の隠れた佳作である ‼

「Smooth Operator」と「Love Affair With Life」を較べると、同じように女たらしを主題にした歌詞でも、両者でアプローチが全く異なるのが面白い。
 


● Love Affair With Life

『 Love Affair With Life 』

You play a love affair with life
You stay and dance with every night
This moments from dawn to dusk you chase
But I’m lost now
Where do I stand in the race

あなたの人生はお遊び
毎晩 踊って過ごしてばかり
暁から黄昏へ あなたの心が移ろうとき
途方に暮れる私がいる
自分はあなたの何なのかと

You play to empty eyes in crowded bars
I can’t believe we’ve come this far yet got nowhere
What is there left for me in this
Everytime you play
Is your first kiss

賑わうバーで あなたの演奏が空しく響く
いつまで経っても中途半端な私たち
いったい私をどうしてくれるの
あなたはいつ誰とでも
ファースト・キスを味わう

I’m not a pastime
I’m not your pastime
Don’t play around with me
You can’t play me
I’m not a melody
Don’t play around with me

私は玩具じゃない
あなたの玩具じゃない
私を玩ぶのはやめて
勝手にしないで
私は音符じゃないのだから
私を玩ぶのはやめて

I’m not a pastime
I’m not your pastime
Don’t play around with me
You can’t play me
I’m not a melody
I’m not a melody
I’m not a melody

私は玩具じゃない
あなたの玩具じゃない
私を玩ぶのはやめて
勝手にしないで
私は音符じゃないのだから
私は音符じゃないのだから
私は音符じゃないのだから

 
また、ファースト・アルバム『Diamond Life』(1984) を締め括る9曲目「Why Can’t We Live Together」は、’72年にティミー・トーマスによるデビュー曲のカヴァー・ソングである。マーヴィン・ゲイの前年発表曲「What’s Going On」を極限までシンプルにしたようなこのメッセージ・ソングは、当時、全米ソウル・チャートで1位、ポップ・チャートで3位となるクロスオーバー・ヒットを達成した。

シャーデーはレコード・デビュー前からこの曲をレパートリーにしていた。彼らの’84年ツアー、および、’85 ~ 86年ツアーのオープニングは必ずこの曲であった。
 

 
ライヴ・エイド(’85年7月13日)や、ピーター・ガブリエル、スタイル・カウンシル、ギル・スコット・ヘロンらと共に参加した反アパルトヘイト・コンサート「フリーダム・ビート」(’86年6月28日)での熱演も印象深い・・・。

以前に作成した、黄金の吐息で魅了する「Sade Adu (シャーデー・アデュ)」がカヴァーした名曲(4曲)のオリジナル曲(原曲)を含め、計8曲を収録した『A collection of songs covered by Sade Adu』の1曲目に、ティミー・トーマスの「Why Can’t We Live Together」、2曲目にシャーデーのカヴァーで「Live At Montreux Jazz Festival 1984」のライブヴァージョンを収録してあるので是非そちらを参照頂きたい。
 


● A collection of songs covered by Sade Adu (全8曲)


00:00:00 ▶ オープニング
00:00:54 1. Timmy Thomas/Why Can’t We Live Together [Original Version (1972年)]
00:05:34 2. Sade Adu/Why can’t we live Together [Live At Montreux Jazz Festival 1984]
00:10:57 3. William DeVaughn/Be Thankful For What You Got [Original Version (1974年)]
00:14:18 4. Sade Adu/Be Thankful For What You Got [Live At Nakano Sunplaza, Tokyo 1986]
00:18:48 5. Percy Mayfield/Please Send Me Someone To Love [Live Version (1950年)]
00:24:07 6. Sade Adu/Please Send Me Someone to Love [The Best Of Sade (1994年)]
00:27:47 7. Thin Lizzy/Still In love With You [Live Version (1974年)]
00:35:33 8. Sade Adu/Still in Love with You [The Ultimate Collection (2011年)]
00:39:56 ▶ エンディング

『 Why Can’t We Live Together 』

Tell me why, tell me why, tell me why
Why can’t we live together
Tell me why, tell me why
Why can’t we live together

なぜだ なぜだ なぜなんだ
なぜ共に生きられないんだ
なぜだ なぜだ
なぜ共に生きられないんだ

Everybody wants to live together
Why can’t we live together

みんな共に生きたいのに
なぜ共に生きられないんだ

No more wars, no more wars, no more war
Just a little peace in this world
No more wars, no more war
All we want is some peace in this world

戦争はもういやだ たくさんだ
この世に少しでも平和を
戦争はもういやだ たくさんだ
僕らが欲しいのはこの世の平和

Everybody wants to live together
Why can’t we live together

みんな共に生きたいのに
なぜ共に生きられないんだ

Gotta live, gotta live
Gotta live together
Gotta live together

生きなくちゃ
共に生きなくちゃ
共に生きなくちゃ

No matter, no matter what color
You are still my brother
I said no matter, no matter what color
You are still my brother

たとえ何色だろうとも
君は僕の兄弟だとも
そうさ たとえ何色だろうとも
君は僕の兄弟だとも

Everybody wants to live together
Why can’t we live together

みんな共に生きたいのに
なぜ共に生きられないんだ

 


 
【 シャーデー・アデュの世界観と美学 】


 
彫刻のように美しい女性ヴォーカリスト「Sade Adu (シャーデー・アデュ)」のイメージを前面に打ち出したUKのバンドグループ『SADE (シャーデー)』は、ジャジーなムードを漂わせたアルバム『Diamond Life』(1984) でデビューし、アデュの華やかなルックスも手伝い、瞬く間に世界的人気を得て大成功を収めた。

1984年のシャーデーの登場は世界の音楽シーンに大きなインパクトを与え、言うまでもなく、それまでのブリットソウル(UKソウル)でも、単純なアダルト・コンテンポラリーと言った類の音楽ではない。

非常に洗練された大人のポピュラーミュージックでありながら、若者たちにも「新しい音楽」として受け入れられるという、これだけアダルトな世界感を持ちながらも老若男女に享受される稀有な存在である・・・。
 

 
彼女の音楽性においては、「Sophisticated (ソフィスティケイテッド/洗練さ)」と「Complex (コンプレックス/複雑さ)」の両義性を持ち合わせ、その中にある種の官能的で浮遊感覚あふれるボーカルテイストがあり、聴き手の耳をそば立たせ、ハートをとらえてしまう強いサムシング。つまり『自己の世界』を確実に創り上げている。

また彼女の姿勢 (精神性) は、決定的に「白人文化におもねらない」だけでなく、「黒人音楽に媚びない」のである・・・‼

にもかかわらず、世間一般ではその音楽ジャンルやカテゴリー、あるいはアートフォームのみで評価・評論をされがちでもある。

彼女の紡ぎ出す歌詞と楽曲が、そのメロディーラインとリズム、アンサンブルやグルーヴ感を包摂・統合・抱擁するがごときランスルーする中に、『かつての音楽ルーツの懐かしさ』が如実に表れているのは間違いないだろう。

しかしそれは、かつての時代に生み出されたものの焼き直しではなく、『永遠のスピリットとも言える音楽性と精神性』を、見事に「現代文化において表現」し、「現代社会において体現」している。

私にとって彼女は、その崇高なスピリットを独自の語り口で、またドラマ性 (躍動するスピリット) の面白さを現代において発揮している、唯一無二の “ 愛すべき究極のディーヴァ (歌姫/女神) ” であり、音楽性や精神性を含め、その行動や表現活動においては、まさに『孤高の象徴』そのものであるのだ ‼
 

 
しかし実際には、以上の文脈のみで『彼女の実像 (全体像)』を真に捉えたとは言い難い。

言い換えれば、彼女の音楽性や精神性を余り『鋭い輪郭』で描こうとすればするほど、その本質から逸脱してしまうのである (単に表層の一部分だけの理解に留まるのみである) ・・・。

既に、彼女は『永遠のスピリットとも言える音楽性と精神性』を、見事に「現代文化において表現」し、「現代社会において体現」していると叙述した。

なぜ、彼女にはそれが為せるのか?…その『根底に存在するもの』とは何なのか?…それは、彼女が『自己においていったい何を悟ったのか?』を問うことを意味する ‼

つまり、『彼女の内面に横たわる深層 (真相)』…彼女自身の内面をその内側と外側から考察する必要がある。しかし、大半の人々にとっては「他人の内面を探る」などと言うことは限りなく不可能と考えるであろう。

それは大きな誤解である。非常に不可思議なことではあるが、彼女と同じ『意識のモード』が自身に備わっていれば、そこへのアクセスやプラグインすることは明らかに可能である ‼

その事実こそ、彼女が自己において悟った『存在の偉大な連鎖』と呼ばれる「永遠の哲学・美学の核心」と言うものである・・・。

ここで詳しい説明は割愛するが、私たち人間には (少なくとも) 、『存在の偉大な連鎖』と呼ばれる「永遠の哲学・美学の核心」に対応する『三つの知の眼 (意識のモード)』があることを示すことができる。

物質的な事象と感覚の世界を捉える (開示する) 『肉体の眼』、イメージ、概念、観念など、言語と象徴の世界を捉える (開示する) 『心 (理知) の眼』、そして、スピリチュアルな経験や状態、つまり、「魂 (ソウル、個人の命)」と「霊性 (スピリット、共通の命)」の世界を捉える (開示する) 『観想 (般若) の眼 (スピリットの眼)』である・・・。
 

 
今回、彼女の世界観と美学の頂点を極めた4枚目の作品『Love Deluxe』から、かつて「毎日が愛しい (一緒に居られる日が愛しい)」と至高の愛を謳った “ Cherish The Day ” を、私自身が作成した4枚のデジタルアートと共にお届けしたい。

その美しさはまさに、『スピリットの眼』において永遠のものとなろう ‼

by JELLYE ISHIDA.


● Cherish The Day [ Collaboration with JELLYE ISHIDA’s digital art ]

『 Cherish The Day / 毎日が愛しい (あなたと居られる日が愛しい) 』

You’re ruling the way that I move
And I breathe your air
You only can rescue me
This is my prayer

私はあなたの言うなり
あなたの空気を吸って生きているの
私を救えるのはただあなただけ
これが私の祈りの言葉 (これが私の願いなの)

If you were mine
If you were mine
I wouldn’t want to go to heaven

もしあなたが私のものなら
私のものだとしたら
天国に行けなくてもかまわない (天国なんていらないくらい)

I cherish the day
I won’t go astray
I won’t be afraid
You won’t catch me running
You’re ruling the way that I move
You take my air

毎日が愛しいの (一緒に居られる日が愛しい)
もう道に迷うこともない
恐れることもない
走るわたしを捕まえるなんてできないの
私はあなたの言うなり
呼吸さえできなくなる

You show me how deep love can be

愛がこんなにも深くなるものだと、あなたに教えてもらったわ

You’re ruling the way that I move
And I breathe your air
You only can rescue me
This is my prayer

私はあなたの言うなり
あなたの空気を吸って生きているの
私を救えるのはただあなただけ
これが私の祈りの言葉 (これが私の望みなの)

I Cherish the Day
I won’t go astray
I won’t be afraid
You won’t catch me running

毎日が愛しいの (一緒に居られる日が愛しい)
もう道に迷うこともない
恐れることもない
走るわたしを捕まえるなんてできないの

I Cherish the Day
I won’t go astray
I won’t be afraid
Won’t run away

毎日が愛しいの (あなたと居られる日が愛しい)
迷うこともない
恐れることもない
逃げたりなんかしない

You show me how deep love can be
You show me how deep love can be
This is my prayer

愛がこんなにも深くなるものだと、あなたに教えてもらったわ
愛がこんなにも深くなるものだと、あなたに教えてもらったわ
これが私の祈りの言葉 (これが私の願いなの)

I Cherish the Day
I won’t go astray
I won’t be afraid
Won’t run away
Won’t shy

一緒に居られる日が愛しい
迷うこともない
恐れることもない
逃げたりなんかしない
恥じらうこともない

I Cherish the Day
I won’t go astray

一緒に居られる日が愛しい
迷うこともない

I Cherish the Day

あなたと居られる日が愛しい

 


【 投 稿 後 記 】

現代人の多くが、「具象的 (あるいは客観的)」に物事を読み解くことを良しとする風潮から、「抽象的 (あるいは主観的)」な物事の捉え方を拒絶する傾向がことのほか強く作用している。

確かに「抽象的だ」とは、いい意味では使われない。しかし、具象が「カタチ(象)を具える」ことに対して、抽象は「カタチを描き出す」という『エッセンスを描き出す』のであって、素晴らしい創造性であることをすっかり忘れ去っている。

ただし、ここでもう一つ完全に捨て去られた物事の捉え方に『捨象』と言う概念世界がある ‼

捨象と言う『もう一つの世界(第三の概念世界/文化)』。もはやそこには「抽象」や「具象」の概念世界は存在しない・・・。

捨象とは「カタチを捨てる」こと、すなわちカタチを捨てれば何が残るのか?

それは、『本質』が残るのみである ‼

あらゆる『流動的事象(絶えざる変化の流れ)』を固定的に観察して理論を形成すると如何に聡明な人々でも完全に失敗する。もっともそこでは、まったく異なったカタチで静止したものを観察しており、いたって部分的な把握に留まってしまう。

「変動するもの」を直接考察して把握しようとするのは「正しい方法」ではなく、身近なものを「鋭い輪郭」で捉えるよりも、広範なものを把握することによって変動するものを把握することが必要となる・・・。

つまり、有意義な方法とは「変動するもの」をその『根底に存在するもの』との関連において考察することであり、その行為は言語知を超えて、『この世界のリアリティのすべて (宇宙全体) を飲み込む』と言ってよいであろう ‼

by JELLYE ISHIDA.


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