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消えない哀しみを背負ってなお輝きを放つ、アコースティック・ソウルの穂希『Corinne Bailey Rae(コリーヌ・ベイリー・レイ)』

消えない哀しみを背負ってなお輝きを放つ、アコースティック・ソウルの穂希『Corinne Bailey Rae(コリーヌ・ベイリー・レイ)』

どのジャンルもコリーヌが歌えばコリーヌの曲になってしまうのが彼女の持つ声の魅力。シャーデー(Sade)など、黒さだけにとどまらない暖かい声と普遍的な魅力をもつコリーヌ・ベイリー・レイ。

切なげでグルーヴィーなR&B、オーガニックなアコースティックなナンバー、カフェミュージックにぴったりなボサノヴァ、エレキギターの効いた幻想的ナンバーまで、そのサウンドの幅は広く様々。

2006年に『Corinne Bailey Rae』でアルバム・デビューを果たし、翌年には、授賞こそならなかったもののグラミー賞で新人賞、ソング・オブ・ザ・イヤー、レコード・オブ・ザ・イヤーと主要部門に軒並みノミネートを受けるなど、本国イギリスだけでなく世界中で人気となり、2012年には、EP『The Love』に収録されたボブ・マーリー“Is This Love”のカバーがグラミー最優秀R&Bパフォーマンス賞に輝いている。



1979年、イギリスはリーズに生まれたコリーヌ・ジャクリーン・ベイリー(Corinne Jacqueline Bailey)は、クラシック・バイオリンを学んだ後、教会で歌うことでシンガーを目指すようになる。

高校時代には、米女性ロック・バンドのL7に影響を受けて全員女性メンバーによるオルタナティブ・ロック・バンド=ヘレン(Helen)を結成したり、教会のメンバーを集めてリヴァイヴ(Revive)というロック・バンドを始めるなど当初はロックに傾倒していたが、リーズ大学(英文学専攻)在学中にジャズ・クラブで歌ったことからジャズやソウルの方面に興味を持ち、デビュー時には折衷的なそのスタイルを完成させていた。

またこのジャズ・クラブで、サックス奏者のジェイソン・レイ(Jason Rae)と出会い、翌2001年には結婚、コリーヌ・ベイリー・レイと名乗るようになる。

2007年には、ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)によるジョニー・ミッシェル・トリビュート集『River: The Joni Letters』で、表題曲ともいえる“River”のカバーで参加。同作は翌年2月の第50回グラミー賞で見事、アルバム・オブ・ザ・イヤーに輝いた。しかしその輝かしいグラミー賞の翌月、2008年3月に夫のジェイソン・レイが死体で発見された。後に、アルコールと、ヘロイン中毒の治療のため友人が処方されていたメタドンの過剰摂取による事故死と判断された。

夫の死を乗り越えて2010年1月には2作目『The Sea』を、翌年1月にはカバー集となるEP『The Love』をリリースし、後者に収録されたボブ・マーリー“Is This Love”のカバーで自身初のグラミー賞に輝いた。

オリジナル・スタジオ・アルバムとしては『The Sea』以来、3作目となるニュー・アルバム『The Heart Speaks In Whispers(2016年5月)』でカムバック。



晩年のプリンス(Prince)やエリカ・バドゥ(Erykah Badu)らが絶賛し、来年のグラミー候補にもなっている気鋭の女性3人組=キング(KING)の面々とのコラボレーションを始め、ピノ・パラディーノ(Pino Palladino)、ジェームス・ギャドソン(James Gadson)、マーカス・ミラー(Marcus Miller)といった名プレイヤーや、“Ain’t No Mountain High Enough”、“I’m Every Woman”など数々のソウル名曲を生んだことで知られるアシュフォード&シンプソンのヴァレリー・シンプソン(Valerie Simpson)との共作曲など、デビュー10周年を迎え、新たな挑戦にも踏み出した。





 
by JELLYE ISHIDA.

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