ここで示される「Experience(エクスペリエンス)」とは「体験」と訳す向きもあるが、この訳はあまり適切ではない。一言でいえば「これまでになかった体験」と表した方がピンとくる概念である。
エクスペリエンスの定義をより明確にすれば、「これまでになかった体験」に加えてもう1つ重要な要素がある。それは『これまで妥協してきたものを打ち破るもの』という定義である。
「Integral Transformative(インテグラル・トランスフォーマティブ)」とは、直訳すれば「統合的で変容的」となる・・・。
私たち人間存在のすべての主要な階層(進化のレベル)である「物質的、身体的、生命的、感情的、心理的、霊的階層」、あるいは「物質、身体、本能、性(以上の三つの生命力)、ハート(感情)、マインド(思考や精神)、意識及び超越的意識(魂及び微細・元因・非二元的な霊性)の存在と認識のレベル(発達・成長の段階)」は、気の遠くなる進化・変容を経て、多様・重層な生として発達・成長を遂げてきた(今後も進化する)。
そして今世紀において人間には、「統合的な成長(integral growth)」が重要だという共通認識が芽生えている・・・。
つまり、インテグラル・トランスフォーマティブとは「統合的な成長」を意図とし、人間のすべての階層(進化のレベル/発達・成長の段階)である物質、身体、生命世界(vital world)、ハート、マインド、魂、霊性を統合し、完全に身体化された『スピリチュアル(霊性的)な生へと発達していく進化のプロセス』を意味する。
ここで誤解のないように説明すると、「スピリチュアル」とは数ある知性の一つであり、具体的には『人間の「内省」や「意識」、「内面性」や「主観性」の研究』である ‼
現代の知識人、または知的産業に従事する文化的エリート達は「二つの陣営」に分断されている。すなわち、『科学(コスモスの右手)』と『人文学(コスモスの左手)』に分かれている。
この二つの陣営が、互いに口をきこうとしないのは確かに良くないことだが、しかし、この二つの陣営から全く拒絶されている分野が『スピリチュアルの探究』である ‼
この分野における知的に非常に洗練され、合理的で、非神話的で、実験的に発達したスピリチュアルの「思考システムと実践」が多数ある。例えば、仏教の「現象学」、ヴェーダーンタの「哲学」、カバラの「解釈学」などであるが、これらは学問と教育の主流においては真剣には取り上げられることはない。
現代の科学主義は、客観的・実証的・経験的な「外面世界(表層)」の記述に没頭するあまり、自分たち自身の「内省」や「意識」、「内面性」や「主観性」を根本的に拒絶する。この科学的物質主義(唯物論)が、高等教育や学問の世界において強力に支配的であるため、『スピリチュアルの探究』はどこでもまじめに取り上げられることがない。
実際には『人文学』ですら、スピリチュアルの研究には殆んど(全くと言ってほど)近づかない ‼
初めに唯物論的な「科学(コスモスの右手)」、特にニュートン・デカルト的な科学が『スピリチュアルの探究』を殺した・・・と考えられた。
しかし、実はこれが本当の理由ではないし事実に近くもない・・・。
問題は、『人文学(コスモスの左手)』が内省や主観性を、それも完全に徹底的に拒絶した。
つまりは「科学(コスモスの右手)」が殺したのではなく、『人文学(コスモスの左手)』が殺したのである ‼
20世紀後半、二つの陣営両方ともに、『科学(コスモスの右手)』ばかりでなく、『人文学(コスモスの左手)』ですら、内面性を完全に拒絶したのである・・・。
また、「Integral Transformative Experience(ITX)/インテグラル・トランスフォーマティブ・エクスペリエンス(統合的で変容的な体験)」の本質的なヴィジョンとは、自己、文化、そして自然の中で現われているままの、物質、身体、心、魂、霊性を包括することを試み、総合的でバランスがとれた、包括的なものであろうとするものである。
それゆえ「ITXのヴィジョン」は、科学、芸術、そして道徳を含むものであり、物理学から霊性までの学問分野、生物学から美学、社会学そして瞑想的な祈りまでを包括する。それらは、統合的芸術・美学、統合的政治学、統合的医学、統合的ビジネス、統合的霊性などにおいて姿を現す。
よって『Integral Transformative Experience(ITX)/インテグラル・トランスフォーマティブ・エクスペリエンス(統合的で変容的な体験)』とは、私たちの仕事や生活や運命を、より全体的で、より断片的でないものにしてくれる「ほんもののヴィジョン」なのだ・・・。
その様な意味と価値を具現化するにおいて、「音楽」「映像」「アート」、そして「ゴシップ」を含め、『エンタテインメント』とは『エンパワメント』である。
『エンパワメント』とは、人びとに夢や希望を与え、勇気づけ、人が本来持っているすばらしい『生きる力を湧き出させる』こと。
そして『エンタテインメント』とは、共創造(コ・クリエイティブ)によりエンパワメントを創出する『勇気づけの文化』である。
G2Jエンタテインメントが伝えたい『ナラティブ(物語)』・・・
それは、インテグレイティブ(統合的)でトランスフォーマティブ(変容的)な『Experience(エクスペリエンス)/これまでになかった体験』へと人々を誘う偉大な芸術の力を明らかに指し示すことである。
今後も、今日までたどってきた道、すなわち「断片化と疎外の道」を探ってゆくのか、それとも、「統合的で包括的に向かうオルタナティヴ(代替的)な道」を探るのか、最終的にどちらの道を探るかは、もちろんあなた次第である・・・。
by JEIIYE ISHIDA.
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