2019年の今年、マーヴィン・ゲイの生誕80周年とモータウンの創立60周年に合わせ、名盤『What’s Going On(1971年)』に続くアルバムとして1972年に発売が予定されながら、同名の先行シングルがクロスオーバー・ヒットとならなかったこともあってお蔵入りし、これまで未発表となっていた幻の作品(幻の未発表アルバム)『You’re The Man』が、本人存命なら80歳の誕生日(1939年4月2日生誕)を迎える日目前の3月29日に、Motown Recordsより「2枚組みLP(UK)」及び「デジタル・アルバム(EU)」としてリリースされた。
今回のリリースに先立ち、リード・シングルとなる“My Last Chance”のリミックス(SalaAM ReMi Remix)がストリーミングで公開され、3月29日「2枚組みLP(UK)」発売後に続き、4月25日には輸入盤CD(EU)が発売され、そして5月8日、ついに日本盤(SHM-CD仕様)が発売となり、国内盤では『マーヴィン・ゲイ物語 ─引き裂かれたソウル』の著者/「Sexual Healing」共作者のDavid Ritz(デイヴィッド・リッツ)による解説の日本語訳と、SWING-O氏と音楽ジャーナリスト・林 剛氏の対談テキストが掲載されている。
先ずは、今回公開されたリード・シングル“My Last Chance”のリミックス(SalaAM ReMi Remix)をお聞き頂きたい ‼
【 My Last Chance (Single Version):1970-1972年 】
この曲はもともと、マーヴィン・ゲイが1971年にリリースした名盤『What’s Going On』の作成期間中にデモ曲となる「ノン・サウンドトラック(インストゥルメンタル)盤」として1970年に録音され、 その2年後の1972年にボーカルを加えた作品である。
[録音時期]
・1970-1972:(original undubbed version/オリジナルのダビングされていないバージョン)
・1990:(overdubbed “remixed” version/リミックス版のオーバーダビングされたバージョン)その後“My Last Chance”は、死後5年後の1990年にリミックスされたヴァージョンがR&Bラジオ局で発表されると、死後のアーティストとして彼の最初のチャート化(Billboardシングルとして認定)され、Hot R&B Singles&Tracksチャートで16位にまで達した。
〖 My Last Chance/Marvin Gaye [1990 Vinyl 45RPM] 〗
[収録曲]
・A1:My Last Chance (Radio Edit)
・A2:My Last Chance (Extended Version)
・B1:My Last Chance (Instrumental)
〖 20th Century Masters:The Millennium Collection: The Very Best Of Marvin Gaye, Vol 2:The 70’s 〗
また2000年には、1972年版がついに「20th Century Masters:The Millennium Collection: The Very Best Of Marvin Gaye, Vol 2:The 70’s(20世紀マスターズ ミレニアム・コレクション:ザ・ベリー・ベスト・オブ・マーヴィン・ゲイ、第2巻:1970年代)」としてリリースさた。
今回リリースされた『You’re The Man』の収録内容は全17曲のうち、Hip Hop/R&Bシーンの名プロデューサーで、「Nas(ナズ)」やLauryn Hill(ローリン・ヒル)がヴォーカルを務める「The Fugees(フージーズ)」、「Hiatus Kaiyote(ハイエイタス・カイヨーテ)」や「Amy Winehouse(エイミー・ワインハウス)」までを手掛けた「Salaam Remi(サラーム・レミ)」によって新しく編集された“My Last Chance”、“Symphony”、“I’d Give My Life For You”の3曲、また1972年にクリスマス・シングル曲でロングLPヴァージョンではお蔵入りになったレア曲“I Want To Come Home For Christmas”や、B面のメロウなノン・サウンドトラック(インストゥルメンタル)未発表曲“Christmas In The City”、また、「Willie Hutch(ウィリー・ハッチ)」がプロデュースした4曲や「Donald Byrd(ドナルド・バード)」のカヴァー曲で、“Where Are We Going?(Alternate Mix 2)”と“Woman of The World”も収録されており、どちらもモータウンの専属の作曲家で名曲を生み出している「Mizell brothers(ミゼル・ブラザーズ)」の楽曲といった、『You’re The Man』の収録曲はこれまでも様々なCDに収録されてきたが、今回17曲のうち15曲はLP盤では初めてである…。
余談ではあるが、昨年(2018年)の4月16日付け「Special(特集)」において、“連載 ‼ Marvin Lover. VOL.2:お蔵入りしたマーヴィン・ゲイの名曲『You’re The Man』”を投稿してから約1年後、まさかのアルバム・リリースに私自身も驚きと感極まる思いで、この数か月は毎日本作を聞き入っている。
[ 連載 ‼ Marvin Lover. ]
● VOL.1:Inner City Blues/インナーシティ・ブルース(都市のブルース)
● VOL.2:お蔵入りしたマーヴィン・ゲイの名曲『You’re The Man』
● VOL.3:マーヴィン・ゲイの『トーン(声)を自由自在に操る才能』
● VOL.5:Live At Oakland Coliseum, CA 1974
● VOL.6:単独で聴いては魅力が伝わらない ‼ 華麗なる曲『Mercy Mercy Me (The Ecology)』
また、連載記事では紹介しなかったが、タイトル曲“You’re The Man”のファルセット歌唱でないヴァージョン「Alternate Version 2」を、現役で活躍し続けるリミキサーの祖として讃えられている“偉大な才能の職人(パイオニア)”「John Morales(ジョン・モラレス)」が見事にリミックスした“Alternate Version 2:Unreleased Extended Mix”など、今回のアルバムリリースによって再びスポットを浴びる機会となるだろう…‼
【 John Moralesが手掛けた “You’re The Man” 】80年代より過去30年に渡り、『John Morales(ジョン・モラレス)』は数多くのソウル、ファンク、ディスコ/ダンスミュージック、ポップスにおける名曲の数々をミキシング/リエディット/リミックス/プロデュースし、ボイラールームをして、「史上最高のディスコのベスト・プロデューサー/アレンジャー」、あるいは「リミキサーの祖」として讃えられるなど、“偉大な才能の職人(パイオニア)”である彼は、Re-Mix文化に大いなる影響を与え、その方法論を確立した先駆者の一人である…‼
偉大な才能の職人John Moralesは、盟友の『Sergio Munzibai(セルジオ・マンジバイ)』と共に、「M&M(THE M+M MIXES)」名義を含め、星の数ほどの名曲を世に送り出した。
彼らの哲学は、「オリジナルを最大限に生かし、最低限に必要な音を加え、最高の作品に創り仕上げる」ことであり、一連のSALSOUL 作品からThe Temptations、Barry White、Marvin Gaye、James Brown、Hall & Oates、Aretha Franklin、DeBarge、そしてRolling Stonesまで、数えきれないアーティストの曲を手がけてきた。
残念ながらMunziabiは91年にこの世を去ったが、1982年から1990年の間、共に作り上げた作品は650作を超え、その後もMoralesはかつてのパートナーへの尊敬の念を込めてM&Mの名義を使い続け、これまで手がけてきた作品はゆうに800 作を超える。
また、当時の音楽シーンに新風を巻き込んだ彼らは「リミキサーの代表的存在」として、時代を代表するDJ、プロデューサー、アーティストに多大なる影響を与え、現役で活躍し続ける彼のプレイは、現在のハウスと呼ばれている音楽にも多大な影響をもたらした人物である。
今回紹介する“You’re The Man”(Alternate Version 2:Unreleased Extended Mix/Rare mix by John Morales)からも、改めて彼らの音楽に対する愛情は勿論の事、リミックスに関する洗練された能力によって、どれほどダンス・ミュージックに貢献をしてきたかという歴史を伝える素晴らしい作品の一つとなっている…‼
47年の時を経てリリースされたMarvin Gaye(マーヴィン・ゲイ)“幻”の未発表アルバム『You’re The Man』は、1984年4月1日にマーヴィン・ゲイが悲劇の死を遂げてから、本作で4枚目の「没後アルバム・リリース(新譜)」となる…‼
1984年4月1日にマーヴィン・ゲイが悲劇の死を遂げてから、本作で4枚目の「没後アルバム・リリース(新譜)」となる『You’re The Man』から、独自にセレクトしたタイトル曲を含む5曲をお聴き頂きたい ‼
1. You’re The Man, Pt. I & II [Single Version].
2. The World Is Rated X [Alternate Mix].
3. Piece Of Clay.
4. I’m Going Home.
5. Checking Out (Double Clutch).
【 マーヴィン・ゲイ生誕80周年とモータウン創立60周年記念行事 】
1959年1月にアメリカ、デトロイトで設立されて以来、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン5、スモーキー・ロビンソン、シュープリームス等のトップ・アーティストを輩出し続けるソウル・ミュージックの金字塔、『Motown Records(モータウン・レコーズ)』。
2019年はモータウン・レコーズ設立60周年という記念の年にあたる…‼
今回、3月に開設された『MOTOWN 60th ANNIVERSARY(モータウン・レコーズ60周年記念特設サイト)』にも掲載された「モータウン・レコーズ」についての歴史を改めて紹介したい。
【 HISTORY OF MOTOWN 】今から60年前の1959年にミシガン州デトロイトにて誕生したモータウン。創設者はベリー・ゴーディJr.。ジャズ専門のレコード店経営を経て、ソングライターなどとして活動していたゴーディが、制作・販売・宣伝・楽曲管理など全てを自社で行うインディペンデントな企業としてスタートさせたソウル・ミュージックのレコード会社だ。
『The Sound Of Young America』をモットーとして、“Hitsville USA”という愛称でも親しまれたモータウンは、タムラを筆頭に、ゴーディ、ソウル、V.I.P.などの傍系レーベルも加えながら、後にファンク・ブラザーズと称される腕利きミュージシャンたちを起用してモータウン・サウンドを確立。副社長にしてミラクルズのメンバーでもあったスモーキー・ロビンソンやホーランド=ドジャー=ホーランドらを専属作家として、軽やかで弾むようなビートと口ずさみたくなるメロディで若者に向けたポップな楽曲を送り出していった。次々とヒットを量産する様は地元デトロイトの自動車工場にも例えられた。アーティストとしては、シュープリームスやマーサ&ザ・ヴァンデラス、マーヴェレッツといった女性グループ、テンプテーションズやフォー・トップスといった男性グループ、そしてマーヴィン・ゲイや、現在も唯一の生え抜きとしてモータウンに所属するスティーヴィー・ワンダーなどを輩出。創立から5年を経た60年代半ば頃には全米を代表するレーベルとなり、ビートルズやローリング・ストーンズなどにも影響を与えながら世界中で親しまれていくようになる。
グラディス・ナイト&ザ・ピップスが活躍し始めた60年代後期にはプロデューサーとしてノーマン・ホイットフィールドが台頭し、テンプテーションズやエドウィン・スターなどがサイケデリックなソウル/ファンクでヒットを連発。同時にアシュフォード&シンプソンがNYから洗練されたメロディやサウンドを運び込み、西海岸のミュージシャンとの交流も活発化していく。こうして社内情勢が変化していく中で登場したのが、若き日のマイケル・ジャクソンを含むジャクソン5だった。そして70年以降は、スティーヴィー・ワンダーがレーベルからセルフ・プロデュース権を勝ち取ったこともあり、アーティスト主導のシンガー/ソングライター的な作品が増加。マーヴィン・ゲイの『What’sGoingOn』(71年)はその象徴的なアルバムだろう。ダイアナ・ロスをはじめ、グループから独立してソロ・シンガーになる動きが出てきたのもこの頃からだ。一方で、フォー・トップスなど古参アーティストの一部は、社内や時代の変化に伴いレーベルを退社している。
72年にはLAに本社を移転。その前年にはモーウェストのような傍系レーベルも誕生しているが、以降は新しいアーティストの入社、映画業界への進出などもあり、サウンドが多様化。西海岸を中心にフィラデルフィアやNYなどで録音された作品も増え、バーニー・エイルズが社長を務めた70年代中~後期には、ファンク、ディスコ、AORなどに接近してクロスオーヴァー化していく。この時代に躍進したのがコモドアーズだった。ジェイ・ラスカーを社長に迎えた前後の70年代後半から80年代中期にかけては、リック・ジェームスがモータウンの革命児として活躍。テンプテーションズのリユニオン企画に手を貸したほか、ティーナ・マリーやメアリー・ジェーン・ガールズを手掛けてレーベル・イメージを刷新している。デバージやダズ・バンドなどが登場したのもこの頃だ。モータウン25周年記念イヴェント『モータウン25』が行われた83年には配給をMCAに委ね、インディペンデント・レーベルとしての活動に終止符を打ったモータウン。とはいえ、コモドアーズから独立したライオネル・リッチーの活躍などによって、レーベルのブランド力はさらに高まっていく。
ラスカーの社長辞任後、88年にはMCAにカタログを売却。そこで新社長に就任したのがジェリル・バズビーで、ここから現在のR&Bに繋がる新時代が幕を開ける。クワイエット・ストームとニュー・ジャック・スウィングのブームを反映したリリースが続いたこの時期には、ボーイズ、トゥデイ、ジョニー・ギル、シャニース、そしてボーイズIIメンといった当時の若手がレーベルの看板に。スムース・ジャズを扱う傍系のモージャズが誕生したのもこの頃だ。以後、バズビーの後任として94年から元アップタウン総帥のアンドレ・ハレル、97年からはジョージ・ジャクソンが社長に就任し、ヒップホップ・ソウル以降のR&Bを送り出す。だが、新人の発掘だけでなく古参にも再び活躍の場を与え、ユニバーサル傘下となったモータウンに新たなブランド・イメージを与えたのは、99年に社長となったキダー・マッセンバーグだった。彼は自身が育成したエリカ・バドゥをモータウンに呼び込み、当時新人だったインディア.アリーを送り出すなどして、以前から標榜していたネオ・ソウルの発信源としてもレーベルを機能させていく。
2004年には、音楽業界屈指の女性エグゼクティヴであるシルヴィア・ローンが社長に就任。2005年から2011年までの新譜は、主にユニバーサルと合併した“ユニバーサル・モータウン”というレーベルからのリリースとなり、KEMなどがヒットを飛ばした。その後、2012年にモータウンへ移籍したNe-Yoが同社の要職に就いたあたりからはモータウンという名称に戻し、モータウン・ゴスペルも発足。〈TheNew Definition Of Soul〉をモットーに掲げる現在はBJ・ザ・シカゴ・キッドやミーゴスなど新世代のR&B/ヒップホップ・アクトを抱え、ユニバール傘下のキャピトル・ミュージック・グループとも連携を図りながら新しい音楽を発信し続けている。その姿勢は、まさに〈TheSound Of Young America〉という当初のモットーのまま。創立60周年を迎えたモータウンは、今もかつてのスピリットを受け継ぎながら未来に向かっているのだ。
「参照:モータウン・レコーズ60周年記念特設サイト/林 剛氏より」
また本場米国では、マーヴィン・ゲイの生誕80周年となった2019年4月2日に、アメリカ合衆国郵便公社は彼の偉大なる功績功績を讃える記念切手 “Marvin Gaye Forever Stamp”を発行した。
【 Marvin Gaye Forever Stamp 】ロサンゼルスのザ・グリーク・シアターで行われた初日カバーの消印を押す特別セレモニーでは、シュープリームスのメアリー・ウィルソンが司会を務め、マーヴィン・ゲイの家族や友人、そして多くの仲間たちが野外円形劇場に集まり、セレモニーは1983年のNBAオールスター・ゲームにて数千もの観客を熱狂させた歴史的な「The Star-Spangled Banner」のパフォーマンス映像で幕を開けた。
(※ 詳細は2018/4/18 掲載「G2J CREW BLOG」の “連載 ‼ Marvin Lover.VOL.3:マーヴィン・ゲイの『トーン(声)を自由自在に操る才能』”を参照のこと。)
この時の歌い方について彼はメッセージを残している…。
「あれはオペラ・タイプの声にふさわしい曲だったから歌うのは難しかった。ソウル・シンガーとしては気持ち良く歌えるものではなく、また、ほかの黒人にとってもそうだと思う。アメリカは多民族国家なのだから、それぞれの人種がもっとも心地良く思う歌い方で歌えばいいと思う・・・僕は白人風には歌えない・・・自分の心を揺るがすように歌わなければならない。僕はソウル・シンガーだから、僕は僕のやり方で歌うべきで白人のやり方で歌うわけにはいかない・・・」
このセレモニーには、ソウル・ディスコのアイコン、セルマ・ヒューストン、ラヴ・アンリミテッドのグローディーン・ホワイト、モータウンのソングライターでプロデューサーのウィリアム・スティーブンソン、“モータウン・サウンド”の裏側にいた有名なプロダクション・チーム、ホーランド=ドジャー=ホーランドのブライアン&エディ・ホーランド兄弟、ミラクルズのクラウデット・ロビンソン、そしてマーヴィン・ゲイの前妻で、ベリー・ゴーディの姉でもあるアンナ・ゴーディ・ゲイ、マーヴィンの妻であるジャン・ゲイ他、多数の著名人が出席した。その後、メアリー・ウィルソンが登場したステージに、息子のマーヴィン・ゲイ3世、娘のノーナ・ゲイ、妹のゼオラ・ゲイ、弟のアントウォウン・ゲイらマーヴィンの家族、そしてスモーキー・ロビンソン、切手のデザイナーであるカディール・ネルソン、そしてベリー・ゴーディが加わり、“Marvin Gaye Forever Stamp”巨大ヴァージョンが披露された。
切手のデザインが公式公開された後、メアリー・ウィルソンがスモーキー・ロビンソンを紹介し、マーヴィン・ゲイへの大きな愛についてこう語っている…。
「マーヴィンが“What’s Going On”を書いていた頃、僕たちは近所に住んでいました。私は彼の家を訪ねては、交流を深めようとした。そんなある日、ピアノに座っていた彼が僕に言ったんです。“スモーク、神がこのアルバムを書いているんだ”」・・・
さらにスモーキー・ロビンソンは、このアルバムでマーヴィン・ゲイが如何に予言的だったかについても触れ、制作当時よりも今の方がより痛烈に心に訴えかけてくる作品であることを語った…。「マーヴィン、君の魂は今も力強く生き続けているよ。君の写真を封筒に付けて、世界中に飛ばすことだってできる・・・」
メアリー・ウィルソンはその後、彼女にとってのヒーローだというスモーキー・ロビンソンの親友でモータウンの創設者、ベリー・ゴーディを紹介した。モータウンの創設から60年が経った今尚、人々が彼を“Mr. ゴーディ”と呼んでいる。ベリー・ゴーディは出席者に感謝を述べ、マーヴィン・ゲイのそびえ立つキャリアを振り返りながらこう語った…。「マーヴィンはまさしく唯一無二であり、彼の音楽はどこまでも純粋で誠実でした。人にはよく“マーヴィンに会ってみたいです”と言われてましたが、彼の音楽を聴けば、彼がどんな人間で、その時の彼がどんなことと向き合っているのかがわかるはずなんです・・・」
ベリー・ゴーディは自身のスピーチの終わりに、マーヴィン・ゲイの音楽が現代においてどんな役割を担っているかについても述べた…。「人々はマーヴィン・ゲイが真の天才であることをより実感として理解し始めているのです・・・」
国内においては、2月16日に“マーヴィン・ゲイの生誕80周年”を記念して河出書房新社のムックより『マーヴィン・ゲイ(文藝別冊)』が発売されるなど、彼の偉大なる功績を讃える声が日増しに高まっていった。
【『マーヴィン・ゲイ』 (文藝別冊)/ムック 】先進的な楽曲と神が与えたと評される美しい歌声、世界のあり方を問う深い精神性と身体を解放させる峻烈な情動を共存させ、ソウル史上に燦然と輝くアーティスト、マーヴィン・ゲイ。生誕80周年を記念して音楽・文学・思想など様々な角度からその魅力に迫る総特集。
〖目 次〗
[エッセイ]
・小坂忠「環境が造ったマーヴィン・ゲイという人生」
・西寺郷太(NONA REEVES)「マーヴィン・ゲイと私。:Yesterday, Today, Forever」
・高橋一(思い出野郎Aチーム)「サンクチュアリのマーヴィン・ゲイ」[インタビュー]
・鈴木雅之「頑固者シンガーに魅せられた不思議な縁」(聞き手・構成=二木信)
・横山剣「コンプが効いた愛の歌」(聞き手=湯浅学)
・ピーター・バラカン「マーヴィン・ゲイと魂(ソウル)の黄金時代」(聞き手=松村正人)
・SKY-HI「”救い”の精神性」(聞き手=二木信)[入門]
・吉岡正晴「マーヴィン・ゲイ入門――引き裂かれたソウル」[対談]
・湯浅学×大和田俊之「無意識の先駆性を音にしたとんでもない男」[ガイド]
・出田圭 マーヴィン・ゲイ/人名事典[論考]
・吉岡正晴「『ホワッツ・ゴーイング・オン』がアメリカ音楽業界とアメリカに残したもの」
・湯浅学「『離婚伝説』伝説」
・押野素子「マーヴィン・ゲイの性と愛」
・出田圭「リオン・ウェアとマーヴィン・ゲイ」
・長澤唯史「女々しくて辛い場所に辿り着いたアイドル――マーヴィン・ゲイと60年代の感情革命」
・マニュエル・ヤン「What’s Going On, Brother――マーヴィン・ゲイとアメリカ労働者階級の悲劇」ディスクガイド:河地依子、小出斉、二木信
また5月28日には、大好評を博している本作の日本盤CDにて対談ライナーノーツを担当した、キーボーディストの「SWING-O氏」と音楽ジャーナリストの「林 剛氏」が、ライナーノーツでは語りきれなかったことを含め、改めてアルバムの実像に迫りながら、マーヴィン・ゲイとニュー・ソウルや創立60周年を迎えたモータウンの話などに触れ、マーヴィン・ゲイ“幻”のアルバム『You’re The Man』解剖対談イベントが開催された。
【マーヴィン・ゲイと本作品の論考】
さて、本作に関するここまでの記述は、他のメディアや雑誌においても知ることができ、おおむね簡単に情報として得られる「作品説明」と言える。よって、当サイトにおいても、“47年の時を経てリリースされたMarvin Gaye(マーヴィン・ゲイ)“幻”の未発表アルバム『You’re The Man』”と言った、極めてありきたりなタイトルとさせて頂いた…。
ただ、先行シングルだったタイトル曲が完成されずに終わったアルバムということで、本作自体を「幻のアルバムの復活」と思ってしまう方もいるかも知れないが、実際は死後に出された「Dream of a Lifetime」などと同じアルバム未収録曲集で、しかも多くの曲は(ミックス違いもあるにせよ)発表済みのものである。
とはいえ、それらを聴くには高価でなおかつ既発表曲も多いボックスセットなどを買わねばならず、こうしたCD一枚(レコードでは二枚組)にまとめられたものは、タイトル・トラックに加え、大部分の曲が今まで一挙には入手できなかったものだ。
そして特筆すべき重要なことは、マーヴィン・ゲイのディスコグラフィーでの説明では一般的によく語られている、1971年の傑作『What’s Going On』、そして1973年の傑作『Let’s Get It On』と言う“音楽史に残る名盤” 2枚の間に発表されるはずだったアルバムと言われているが、実際には元々、『What’s Going On』に先行されて企画されていたアルバムこそが『You’re The Man』なのである…‼
表題曲“You’re the man”-[米国大統領選挙運動が始まったときの政治的な非行動に対する浸透していた皮肉の意]-は、歴史的名盤『What’s Going On』の後、約1年後にEPとして1972年春にリリースされ、全米チャート50位、R&Bチャート7位と大ヒット(クロスオーバー・ヒット)に至らなかったが、このアルバムの魅力でもある歌詞の内容を踏まえれば、当時のニクソン政権を過激に批判した政治的なメッセージ・ソングから、マーヴィン・ゲイならではのラヴ・ソング、そして後に発表されたファンキーな“Got To Give It Up”、“A Funky Space Reincarnation”、“Ego Tripping Out”と合わせて、彼の「四大ファンクの名曲」の中の一曲が表題曲“You’re the man”であることなど、ともすれば一貫性に欠けていると思われるこのアルバムの意義や価値というものは、思いのほか感慨深い真相が横たわっており、そう簡単に本作を批判(批評)することは困難であろう…。
つまり、表層の客観的事実を時系列で眺めながらも、彼の作品だけに視点を注いで観たところで、重要な意味や価値を読み解く(解釈する)ことに多くの批評家は失敗に終わるだろう…。
また、1971年の傑作『What’s Going On』、そして1973年の傑作『Let’s Get It On』と言う“音楽史に残る名盤” 2枚の間に発表されるはずだったアルバムうんぬん…と言った固定観念が独り歩きする中で、本作を鋭い輪郭で描こうとすればするほど、尚のことその批評・評論家(文芸批判)が下す評価はことのほか乱暴な論評に陥り兼ねない…。
私自身の独自の見解としては、今まさに「マーヴィン・ゲイの伝説」が新たに生まれたにもかかわらず、盥(たらい)の水と一緒にその赤子までを捨ててしまってはならないと考えている…‼
筆者が意図する考察についてこの場で論ずることは差し控えさせて頂く。ただし、いずれ明確に叙述させて頂きたい。
今回は、作者(マーヴィン・ゲイ)と作品に関する当時の大まかな背景を参照しながら、その動的な視点でもって今回の作品を鑑賞して頂ければ、本作の価値と意味が如何に重要かつ深いものかが伺え知れると考えている…‼
第一に、今は亡き「マーヴィン・ゲイの伝説」にとって、1972年は特別な移行期であり、アルバムはデトロイトとL.Aでレコーディングされている。
また彼は自身がプロデュースした胸に刺さるようなバラードの組曲を作曲し、彼はのちにプロデューサーとなるソングライターでジャクソン 5のヒット曲“I’ll Be There”で知られ、映画『The Mack』と『フォクシー・ブラウン』のスコアで称賛されることになる「ウィリー・ハッチ」と仕事をしていた。
そして、「パム・ソーヤー」と「グローリア・ジョーンズ」らが作曲した“Piece of Clay”は1995年の映画『フェノミナン』で使われヒットとなっている。
彼はジャクソン5の裏にいたヒット製造マシーン「フレディー・ペレン」と「フォンス・ミゼル(フォンス・ミゼルがラリー・ミゼルとセットで先に述べたミゼル・ブラザーズと呼ばれていて、彼らはスカイ・ハイ・プロダクションというプロダクションチームを結成し、数々の名曲を生み出し、レア・グルーヴ以降、再評価されたヒップホップにとって重要な存在である)」とも作業した。
また、マーヴィン・ゲイとダイアナ・ロスとのデュエット・アルバムを準備していたプロデューサーの「ハル・デイヴィス」と一緒に“The World Is Rated X”を制作。そしてマーヴィンはベトナム戦争に対する怒りや戦地にいた弟の経験を“What’s Going On”に続く“I Want To Come Home For Christmas”を作り上げ、“You’re The Man”をシングルカットした。
本作のライナー・ノーツを担当したマーヴィン・ゲイの伝記作家で、創作意欲と精神的な重責の狭間で彼が戦っていた内なる葛藤を探求している「デイヴィッド・リッツ」の手掛けた伝記本『Divided Soul: The Life of Marvin Gaye』で初公開されたインタビューの中で、マーヴィン・ゲイは「What’s Going On」の成功についてこう語っている…。
「今、私は自分がやりたいことができるんだ」とマーヴィンはこう話していた。そして彼はこうも語った。「ほとんどの人にとって、成功は祝福になるでしょう。しかし私にとってはその考えはプレッシャーだった。みんなは“マーヴィンは頂点に上り詰めた”と言った、しかし母が“最初に熟したものが最初に腐る”とよく言っていたこともありその言葉は私を怖がらせた。頂点に上り詰めたら、次は下るだけだ、と。しかし、自分の意識を高めて私は上り続ける必要があるんだ、 そうしなければ背後から落下していくだけだ。“戦争はいつになったら終わるんだ?” それは私が知りたいことだよ、私の魂の内側の戦争がいつ終わるのかをね」と…‼
彼の内面の葛藤にもかかわらず、同年マーヴィンはダイアナ・ロスとのデュエット・アルバムをレコーディングし、そして後に彼のランドマークとなる映画『Trouble Man』のスコアの依頼を受けた。
そしてその一年後、彼自身最大のヒットとなった『Let’s Get It On』をリリースするのである…‼
【マーヴィン・ゲイと70年代初頭の音楽背景】
当時のソウル・ミュージックは、マーヴィン・ゲイを筆頭に「Stevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)」、「Curtis Mayfield(カーティス・メイフィールド)」、「Donny Hathaway(ダニー・ハサウェイ)」らによるニュー・ソウルが台頭した時代である。
70年代初頭のジャズの周りでは、社会の矛盾を突いた自らの詩を音楽にのせ、当時“黒いボブ・ディラン”と呼ばれた音楽家で詩人の「Gil Scott-Heron(ギル・スコット・ヘロン)」が、70年代ジャズの名門「フライング・ダッチマン」からデビュー(1970年)した。
その当時、ジャズとファンクを融合させた音楽を生み出し、その独自性はアシッドジャズやレア・グルーヴなど、ジャズとファンクの間を自在に行き来するサウンドで数多くのクラシックを残してきた「Roy Ayers(ロイ・エアーズ)」がUbiquity(ユビキティ)を結成。現在も精力的にレコーディング、ライブツアーをこなしており、現在もHIPHOP世代からもサンプリング・ソース(ネタ元)として多大な支持を集める。
そして、ジャズの巨人「Miles Davis(マイルス・デイヴィス)」はフュージョンと呼ばれるジャンルを確立し、ジャズ史上最も革命的な作品の一つとみなされている1970年に発表した2枚組のアルバム『Bitches Brew』をリリースした時期でもあり、マイルスのアルバムとしては初めて、本国アメリカでゴールド・ディスクに達した。本作は、“ウッドストック・フェスティヴァル”の開催日に、マイルス・デイビスがニューヨークのスタジオで繰り広げたサウンドを収めたアルバムで、ロックやファンクの要素を大きく取り入れた「エレクトリック・マイルスの金字塔」にして、20世紀音楽の黙示録というべきベスト・セラー作品でグラミー賞受賞作でもある。
また、「ストラタ・イースト」や「ブラック・ジャズ」といった、黒人たちによるインディペンデントレーベルが生まれ、ジャズがファンクやアフリカ音楽と接近していった時代でもあった…。
特に私自身の記憶の中で、印象に残るあるインタビューでの言葉が思い出される・・・。
「プライベートではマーヴィン・ゲイを好んで聴いている。ビリー・ホリディがそうだったように、マーヴィン・ゲイには楽器のように声をコントロールできる才能がある・・・」と述べたのは、偉大なるジャズ・ジャイアンツ「マイルス・デイヴィス」である…‼
この未発表アルバム『 You’re The Man』のリリースに加え、モータウンとユニバーサル・ミュージック・エンタープライズは、ナット・キング・コール100回目の誕生日にあわせた3月15日にMarvin Gayeの1965年のアルバム『A Tribute To The Great Nat King Cole』の新たな拡張版(デラックス・エディション)をデジタルでリリースする予定。そのアルバムは、オリジナルのモノ・ミックスを使用、スタジオ・セッションからの6つのオルタナティブ・テイクを含む、12曲以上のボーナス・トラックが新たに追加される予定となっている。
また、2018年6月20日付けのアメリカ合衆国で発行されているエンターテイメント産業専門の業界紙『Variety』は、Dr.Dre(ドクター・ドレー)が、R&B/ソウル界のレジェンド、マーヴィン・ゲイのバイオグラフィ映画を制作すると報じた。
ドレーはすでにSony/ATV Music Publishingからゲイの音楽を使用する許可を得ており、これまで多くの人がゲイの人生を映画にしようと試みてきたが、家族が承諾しなかったものをドレーはそれもクリアしたとのことだった。
まだ初期の段階で、監督や脚本家、キャストは明かされていない中、ドレーはプロデューサーを担うものと考えられているが、彼に演じて欲しいとの声も上がっていた…。
しかし、6月22日の『The Blast』によると、ゲイの息子いわく・・・。
「ドレー側と交渉中なのは事実だが、まだ最終的な合意には至っていない。6月18日、ドクター・ドレーが父の映画をプロデュースするとの報道がなされたが、それは時期尚早だと言いたい」
「僕はドクター・ドレーのことが大好きでとてもリスペクトしているし、僕らは、映画への彼の関与について話している最中だ。だが、現時点で、相続人である僕から映画化の許可はおりていない。父の人生に関する傑作を作るにあたり、僕は、有能で経験ある映画プロデューサーたちの参加を望んでいる」と話したという…‼
交渉が成立するのかしないのかまだわからないが、息子にしてみれば、素晴らしい映画を作ることが最終かつ唯一の目標だという。
ゲイのバイオグラフィ映画制作については、ドクター・ドレーから発表があったのではなく、映画関連のメディアが伝えていた。ゲイの映画は、これまで多くの人が制作を試みてきたが、家族が承諾していなかった…。
by JELLYE ISHIDA.
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