通常、ロックンロールの成立は1955年にヒットした「ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ」の“ロック・アラウンド・ザ・クロック”とともに語られる ‼
だが実際、ロックンロールと呼ばれるジャンルには、ビル・ヘイリーに代表される「北部出身のバンド」、ニューオーリンズの「ダンス・ブルーズ」、メンフィスの「カントリー・ロック(ロカビリー)」、シカゴの「リズム&ブルーズ」、そしてドゥワップなどの「ヴォーカル・グループ」といった五つの音楽的スタイルが含まれている。
いずれにせよ、アメリカのポピュラー音楽史上において、「人種の混淆(こんこう)」をその中心的特質とする音楽ジャンルとしては極めて稀であり、その歴史的意義はいくら強調してもしすぎることはない。
そして、『ひとりの青年の登場』によって“ ポピュラー音楽は後戻りのできない地点にまで到達 ”してしまうのだ ‼
その“ 音楽革命(R&R革命)の青年 ”こそ『Elvis Presley(エルヴィス・プレスリー)』であるが、それにもかかわらず、現在もっとも過小評価されている音楽家の一人なのである・・・。
例えば、最近でも若いミュージシャンが「ビートルズ」や「ローリング・ストーンズ」の影響を公言することはあっても、そうした文脈で『エルヴィス』の名前があがることはほとんどない。
しかし、彼の桁外れの業績を知れば、ポピュラー音楽史上において『圧倒的な存在』であることは明らかとなる ‼
ビルボード誌のポップス・チャートにおいてエルヴィスが送り込んだ「トップ40」は“114曲”、2位のエルトン・ジョンの“59曲”を大きく引き離しての1位で、3位のビートルズで“52曲”、4位のマドンナで“49曲”。なお、「トップ10」入りの曲数もエルヴィスが最も多く、連続1位獲得数や1位獲得週数の記録も保持している。
しかし、『エルヴィスの重要性』は数字だけで測りきれるものではない ‼
彼の偉大さは、中世ヨーロッパにまでさかのぼる「バラッドの伝統」と、アフリカや南米大陸経由でもたらされた「黒人文化の系譜」という“ 二つの文化の融合を象徴する ”のが『エルヴィスの重要性』であり、彼が背負うことになった『音楽史/文化史の重み』に比べ、多くの反感を覚悟で言えば、「ビートルズ」や「ローリング・ストーンズ」のメンバーは『エルヴィスの延長線上』で“ 少しばかり音楽的センスに恵まれた青年たち ”にすぎない・・・‼
by JELLYE ISHIDA.
〖 Elvis Presley(エルヴィス・プレスリー)〗
1953年の夏、『Elvis Presley(エルヴィス・プレスリー)』という名の青年がテネシー州メンフィスにあるサン・レコードのレコーディング・スタジオを訪れた・・・。
青年は「母親の誕生日に贈るために自分の歌をレコーディングしたい」と申し出る。
一方、サン・レコードの創設者『サム・フィリップス』は“ 黒人のフィーリングを感じさせる白人歌手 ”をずっと探していた。そして、この二人の出会いによって一枚のシングルが完成する。
ブルーズ・シンガー「Arthur “Big Boy” Crudup(アーサー・クラダップ)」の“ That’s All Right(Mama)”をカヴァーした曲はすぐに地元のラジオで話題になり、青年の人気は急速に高まっていった。
五枚のシングルをサン・レコードから発売したのちに彼は「RCAビクター」と契約を交わし、1956年に“ハートブレイク・ホテル”でメジャー・デビューを果たした・・・。
・「Arthur “Big Boy” Crudup(アーサー・クラダップ)」の“That’s All Right(Mama)”
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